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【旅日記】台湾編・番外編①埔里・霧社・廬山温泉

  • めでか
  • 2017年9月25日
  • 読了時間: 3分

 こんにちは、めでかです。前回、嘉義について書くと言いましたが、予定を変えて番外編です!というのも、今回の台湾訪問は4回目のため、ちょくちょく行ったことがあるところがあります。以前行ったところもついでに紹介しようということで、番外編にしました!

 舞台は埔里と霧社と廬山温泉です!といってもピンとくるひとはあまりいないですかね笑 埔里は台湾の地理中心の地です!霧社は日本・台湾の歴史を知るうえで欠かすことのできないほど重要な土地ですよ~

 それでは、さっそく行きましょう!と言いたいところですが、今回は写真少なめです笑 使える写真が少なすぎた………

 まず、埔里への行き方ですが、日月潭に行く時と同じバス停から乗ります。「埔里(プーリー)」と呼ばれるので、バスが来たらICカードで乗りましょう!所要は1時間くらいですかね。小さな田舎町です。バス停から車で10分くらいで、台湾地理中心の石碑がありますよ~

なかなか立派な石碑です。

今回の目的地は霧社なので、埔里はこのへんにして、霧社に向かいましょう。

霧社までは、埔里からバスで向かいます。台中から到着したバスターミナルと同じバスターミナルから出発しましょう!

霧社まではおよそ1時間。くねくねと山道をのんびり登っていきます。日本の田舎の山道を連想させるような景色が広がっていますよ~

こんな感じです

霧社に到着!

桜がきれいです。桜?だよね?笑

 はい、ここで霧社がどういう場所か簡単に説明しましょう。日本とは切っても切れない縁で結ばれているところです。

 台湾を日本が統治していた時代の1930年10月27日、台湾原住民セデック族が霧社に駐在していた日本人警察官やその家族、入植者らを襲撃し、多数の死傷者が出ました。霧社事件といいます。この事件を率いていたリーダーをモーナ・ルダオといいます。学校の運動会中に襲撃され、女性や子供も関係なく殺害されてしまいました。長年の日本人による原住民への統治に抵抗・反抗する形で、この事件が起きてしまいました。さらに詳しい説明は、本やインターネットで調べてください笑

 この事件は映画「セデック・バレ」という作品で描かれています。ちなみにこの映画の監督は、台湾で大ヒットした「海角七号」や「KANO」の監督でもあります。どちらの作品のロケ地というかゆかりの場所に行きました。のちのち出てきます笑

↓ 事件の発端となった公学校があった場所

霧社山胞抗日起義記念碑

モーナルダオの銅像

モーナルダオの墓

このように、モーナルダオは抗日の英雄として、大々的に祭られています。戦後、台湾にやってきた蒋介石率いる国民党政権によって、日本を否定するための材料として抗日英雄・モーナルダオが大々的に讃えられています。

しかし一方で、犠牲になった日本人の慰霊塔があった場所には、なんと現在(2015年2月)建物が建っています。下の写真の途中で切れている階段が当時の痕跡を留めています。

台湾と日本、過去の怨讐を超えて、真の友好が実現が成されるといいですね!!

そして、霧社よりもさらに奥へ進むと廬山温泉という温泉街があります。

この吊り橋けっこうこわいです笑

台湾の温泉は水着着用なので、お忘れなく~

 はい、今回は埔里、霧社、ついでに廬山温泉を紹介しました。どうでした?笑 台湾を旅行する中では、訪れる候補にも挙がらないかもしれませんね笑 でも100年ほど前には、故郷を離れた日本人が生活していたのですよ。昔の日本人や台湾原住民に思いを馳せるのもいいかもしれませんね(←柄にもないことを言っている笑)

 霧社事件については、ネットや映画「セデック・バレ」を観てなんとなく勉強してみてください。こんな山奥で、しかも異国で日本人が生活していたのかと想像すると、霧社に行きたくなると思いますよ。

 今回はさっそくの番外編でした。次回こそは嘉義を紹介しますよ~ さようなら~

 
 
 

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